記憶というのはとかく曖昧なものである。まして、思春期の記憶ともなれば、私にとっては 15 年以上も前の話である。曖昧で当たり前だ。
そして、今、思い出した。私は中学生のときから、自分が女性だという自覚を持っていたことを。そして、子供ながらに、その自覚と折り合いをつけようとしていたことも。
違和感は、無かった。対外的に、体の性である男性として生きる術はある程度身に付いていたし、そうやって表向きは男性として生き、誰も見ていないところでだけ、女性の下着を身にまとい、自分が女性であることを確かめる。それで満足できると思っていた。
鬱を患い、自分を見つめなおす機会が与えられて、初めて私は悟ったのだ。自分に嘘をつき過ぎていたことを。もっと自分の心に素直であって良いということを。
年齢的には、青春と呼べる時期は過ぎてしまったかもしれないけれど、でも、せめてこれからの人生は、自分に素直に、ありのままに、そして心が望むように生きたい。幸い、それを叶えてくれるだけの医療技術も、現在では整っている。
遥か彼方にあるスタートラインに向かって、ゆっくりとでもいい、確実に進んでいきたい。
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